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岡谷蚕糸博物館
岡谷美術考古館
394-0028
長野県岡谷市本町4-1-39
開館時間 AM9:00〜PM5:00
休 館 日 月・祝翌日、
年末年始
0266-22-5854
石鏃などが
黒?石からつくられた
今から約5000年前、縄文時代中期の諏訪地方は温暖な気候と豊富な食料に恵まれ、ムラをつくって大勢の人々が生活していました。そして、この繁栄の源には黒耀石の存在がありました。
諏訪地方の縄文時代の遺跡からは、たくさんの黒耀石が出土しています。それらは石鏃などの完成品であったり、作りかけの石器や剥片、あるいは原石のままのものもあります。縄文時代になると、原産地で採取した黒耀石を集落へ持ち帰り、集落の中で石器づくりをするようになりますが、岡谷では黒耀石原産地の和田峠に近い大集落、梨久保(なしくぼ)遺跡がその典型的な遺跡です。なぜ大量に黒耀石
梨久保遺跡
の石器を作るのかというと、他地域の人々と交易をするためであると考えられています。つまり自家用以外にも、交易品としての石器をたくさん作っていたのです。それを裏付けるように、梨久保遺跡からはヒスイやコハクなど、遠方から運ばれた希少品が多く出土しています。これらは黒耀石の交易によってもたらされたのでしょう。このような交易品としての石器づくりは、黒耀石原産地のある岡谷の、そして諏訪地方の大きな特徴です。
石包丁
弥生式土器 (稲作により土器の種類が増えた)
弥生時代、西日本の文化は天竜川沿いの伊那谷から諏訪地方へ入ってきたと考えられます。
天竜川をさかのぼってきた稲作農耕技術は、湖北地方を中心に根付いていきました。天竜川南岸にある橋原(はしばら)遺跡は稲作の定着を示す代表的な遺跡です。一軒の竪穴住居からは46.8リットルもの炭化米が出土しました。炭化米の他にもヒエ・アワ・エゴマ・豆類が発見されており、弥生時代の農耕を知る上で大変良い資料となっています。米づくりが広まると、縄文時代にはなかった、稲籾貯蔵用の大きな壷が作られるようになりました。また稲作農耕とともに機織の技術がもたらされました。橋原遺跡でも紡錘車と呼ばれる機織道具の糸車が多数出土しています。
コウモリ塚古墳出土の馬具類
信濃は名馬の産地として有名です。大和朝廷により官牧が定められる以前から、信濃では牧が発達していました。諏訪地方の古墳の出土品には馬具が多く、地方豪族が牧の経営によって権力を握っていたことがうかがえます。700年(文武天皇四年)になると、それまでの地方豪族の牧は多くが官牧とされ、中央政府の管理下におかれます。官牧の管理は国司があたり、地方豪族は牧長として牧の経営を任されるようになりました。信濃国には16の官牧があり、岡谷にあったと推測される岡屋牧(おかのやのまき)からも、馬が朝廷に貢納されていました。
岡谷市内のコウモリ塚古墳(古墳時代後期)は副葬品の大半を馬具が占めていました。装飾的な鞍金具は諏訪地方の古墳での出土例は稀で、壷鐙は長野県下でも類例がないといわれています。コウモリ塚古墳は牧の発達と、権力の地理的な中心地を知る上でとても興味深い古墳なのです。
榎垣外遺跡の官衙跡
奈良時代になると律令国家体制のもとで各地に官衙(役所)が置かれるようになりました。
榎垣外(えのきがいと)遺跡は岡谷市内最大の集落遺跡として知られ、縄文から平安の各時代の集落が発見されています。なかでも奈良・平安時代の遺構からは長大な掘立柱建物跡が発見され、これらの建物跡が規則性をもって配置されていることから官衙跡ではないかと見られています。住居址からは緑釉陶器、皇朝十二銭「隆平永宝」、墨書土器、円面硯、八花鏡、刀子など、役人の生活を示すような遺物も発見されました。奈良・平安時代の榎垣外遺跡は、官衙を中心に周辺には役人や庶民の居住地があり、諏訪地方で最も栄えていた地域であると推測されるのです。
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